熱帯魚は水槽の夢を見るか

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私的(強調)クソアニメの見分け方

この世にはクソアニメというものが存在する

ストーリーもキャラも制作も作画全部クソ。クソを練って焼いてクソをトッピングしたようなクソクソのクソ、まさにクソの中のクソである。

 

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内容に一ミリも関係ない東京駅の写真

 

 

クソアニメは無限に存在するが俺たちの時間は完全に有限である。無限に湧き出るクソをなんとかして避けない限り、いつまでもクソを食わされる。本当にクソでしかない。本当にどうしようもないが、面白いアニメの背後には数えきれないほどのクソアニメが存在する。ぶっちゃけこの世の摂理に近い。これ作品として成り立っているのか?と言いたくなるような作品が毎クール毎クール飽きもせず量産されている。どれがとは個人の感想のため言及しないが、誰しもその存在は否定できなかろう。

 

アニメを嗜む我々は、ことの大小に限らずクソアニメに時間を取られている。監督もいいし作画も安定してたから最後までねばったのに蓋を開けたらクソだったあのアニメ。ビッグタイトルだからだらだら見てたけどあまりのクソさに修行か?と魂と肉体が分離しそうになったあのアニメ。胸に手を置いて思い出して欲しい、奴らに裏切られた期待を、クソアニメに時間を割いた屈辱を。

1クール全部見てしまったとして、単純計算で30分×12回の6時間が無駄である。2クール物だったらその2倍。録画派であればHDDの容量もしっかり無駄にしているし、録画の手間もコストである。もしもっと早い段階で気づいても、初回の30分くらいはしっかり無駄になる。とりあえず1話は全部見る派の私にとってそんな作品が年30本くらいあればもうそれは15時間の浪費なのである。

というか時間よりも精神の浪費がすごい。つまらないものを見せられているという事実、1話を懐疑的な目で見なければいけない感覚、クソ臭に耐えて見ていたけどとどめのクソを食らった時のやっぱり感。裏切られる期待。もう本当にクソである。

 

そこで思った、やはりクソアニメは1話すら見る価値がない。とりあえず1話は全部見る派をやめて、今期のアニメ一覧が出た段階で見る見ないの判定をシビアにする必要がある。

 

そのために、必要なのはアニメをできるだけ見ずにクソ臭を嗅ぎ分ける力である。そこでanictoというサービスを利用して今まで見たアニメのうちクソクソだったやつを洗い出した。せっかくなので、でてきたクソアニメの特徴をいくつか紹介したい。あくまで傾向なので、この特徴がある=クソアニメだと言うわけではないが、もしかしたらそうかもと思って1話の10分くらいで引き返す背中を押すくらいの力はあると思う。

 

※ここで述べる”クソ”は私の考えるクソなので、一般論ではありません。あなたにはあなたのクソがあり、わたしにはわたしのクソがある。それだけです。

 

 

 

1.キャラの髪色が多種多様かつ彩度が高すぎる

 

反例としてプリキュアなどがあるが一旦忘れて欲しい。

キャラの髪色というのはキャラを見分けることにおける重要なファクターである。つまり髪色さえ違えば別のキャラにできる。絵による書き分け、設定による性格分けがほとんどなくても色を変えると別キャラを用意できる。それを多用しているアニメは全体的な表現力が低い…つまりつまらない可能性がある。もちろん髪色やキャラデが違うことは視聴者にとってのわかりやすさではあるが、白黒ベースの漫画では不可能な表現であることから考えるに漫画原作では起こりにくいことからも髪色バリエーションとクソ率には相関があるような気もする。

 

 

2.なんかよくわかんないけど主人公のことを好きなヒロインが1人以上いる

 

別にヒロインがいることは否定しない。正直恋愛ものでない限りヒロインを出す必要は全然無いと思うのだが、ストーリーの構成上守るべき存在とかそういうのがあった方がやりやすいんだろう。物事の動機として便利なのだ。わかりやすく例えをだすとSAOのキリトとか特に女の子を守る、助けるみたいな動機を基準に物語が動いていくことが多い。その動機は、主人公がヒロインに好意を持っているから起こるのである。

しかし、ヒロインが主人公に好意をもつ場合は全然違う。物語の主たる存在以外のキャラクターの感情は、物語の本筋になり得ない。ハリーポッターシリーズでハーマイオニーがハリーのことを恋愛的に好きなのか友情として好きなのかとかほとんど出て来ないのに近い。ハーマイオニーがハリーを好きであろうとなかろうと物語に大きい影響を及ぼさないからだ。

ではなぜ「よくわかんないけど主人公のことを好きな女の子」演出があるのか。たぶんだが、見ている人を気持ちよくさせるためである。自分のことを無条件で理由もなく好きになってくれる人が突然現れるのを嬉しいと思っている層に対するアニメでこの演出がよく出てくる気がする。正直全然知らない人から好かれてもキモいし怖いだけだと思うが、かわいいヒロインキャラが凡人っぽい主人公に好き好き言って懐いている光景は、いつかこんな自分のことをありのまま受け入れてくれる異性が(あわよくば複数)現れてほしいというクソ願望を柔らかく肯定してくれているような錯覚を生むのだろう。

つまり物語の本筋とは別に、見ている人を気持ちよくという演出に偏ってしまっている作品は、必然的にストーリーが疎かになるので面白くなく、クソ率が高まる。

しかし、振り切ったハーレムもの…例えば『彼女もカノジョ』は主人公を好きな女の子が複数いるが、なぜ彼女たちが主人公を好きなのかが割としっかり説明されていたし、恋愛コメディものであるため恋愛が主軸となって話が展開する。つまり主人公やヒロインの感情にきちんと意味がある。見ている人に気持ちよくなって欲しいという製作側の意図は感じなかった、だから面白かった。

 

 

3.ストーリー上不要なお色気シーンが多い

 

2と内容が似るが、本来不要な演出をゴテゴテに盛っている分、ストーリーの厚みは減る。エロシーンに裂かれる時間の分、物語が進行しない。よって面白さへの期待値は低い。そもそも普通のアニメにはそこまでのエロシーンが求められていないはずである。

エロアニメを作ろう!として作られている、放送と円盤でモザイクの量が違う作品なら全然納得できる。エロで売っているわけだから、放送盤のエロシーンは円盤のCMなわけだ。できるだけ過激にして、これをモザイク少なめで見たい!という人にアプローチしているのだ。だからストーリーなしでエロシーンだらけでもそこに潔さがある。商品としては全然クソじゃないし、表現として面白い、異種族レビュアーズは正直面白かった。(もちろん現実世界とはちがって、風俗で働いている女性キャラが様々な理由でしょうがなく働いているみたいなバックグラウンドはないと仮定してだが)

 

問題なのはさりげなくエロシーン混ぜてくるアニメである、そうそこのクソアニメ、お前に行ってんだよクソ。なんで女性の服がぴちぴち乳袋なんだ、おばあさんキャラをはじめ男性キャラは普通の服着てるじゃねえか。なんで風呂場で無駄に遭遇するんだ、なんでありえない場面で服が破けたり脱げたりするんだどんだけボロ着てるんだ。なんで女子同士で胸揉んだり体をジロジロみたりするんだ普通に気持ち悪いだろ。こんなのエロシーンっぽいの入れとけば見てるヤツは喜ぶと思われてる。バカにされてると思わざるを得ない。原作含め製作側が視聴者や感性を舐めてるとしか言えない。エロシーン1分あったらその分増やせる感情表現シーンが増えるだろ。それをしないってことは物語に深みを出す気がない、視聴者は適当にエロ入れとけば喜ぶと思い込んでいる製作側の意向の現れである。そんな作品はどうにもハズレ率が高い。

 

 

4.女性キャラが真顔の状態でも頬がピンクに染めてある

血色感があった方が可愛いのはわかる。メイクにはチークという頬をピンクやオレンジで彩色し、人間味をアピールする手法がある。ほんのり色があることで皮膚の下に血管があることを感じさせるようなあれでかんかいい感じに可愛い(もうちょっと言うと敵意がない)を演出する方法だと思っている。それを悪用しているアニメがある。

そもそも頬を染めることは、照れ(焦燥による顔面の火照り)を表すことができる。あくまで表現方法の一つだと思う。セリフでは強がっていても瞳が潤んでいるとか、笑顔なのにキャラの顔にやたら影がかかっているとか、そう言う類の表現の一つ。それなのに、簡単にキャラを可愛く見せようとして、常にキャラの頬にピンクの丸、もしくは斜線がついているアニメがある。自分の命がかかっている戦闘シーンでも、辛い局面に陥ったときも、なぜか頬はピンク。普通におかしい。なんでこのキャラはこんな辛い時に照れてるんだ?となってしまう。シリアスなシーンで見つけるとどうしてもギャグアニメっぽく見える。キャラを可愛くみせることとストーリー進行は本来両立可能である。逆にどんなシーンでもキャラが可愛くいなきゃいけない必要はない。普通に表現してもらえればいい。

 

 

5.主人公の見た目、能力にこれといった特徴がない

本来、主人公の能力や外見はストーリー的にもアニメ化するにも非常に重要である。外見は、数多のアニメから作品を一意に特定できる言わば作品の名刺的な存在でその名前が作品タイトルになることもしばしば。

つまり、その作品がどんな作品なのか表現されている。服装からわかる世界観設定、外見からわかる年齢、顔の傷からわかる過去の遺恨、表情からわかるキャラクター性格、身につけた能力からわかる苦労と生い立ち、その他ありとあらゆる情報が詰め込まれ、それが視聴者の想像を掻き立てる。

それが一切見えてこない作品が存在する。黒目黒髪ヒョロガリに加え「俺はどこにでもいる普通の…」とのたまう少女漫画の主人公か?と言いたくなるような主人公を据えている作品が。

そもそも少女漫画はヒロインとイケメンが羽陽曲折ありながらもカップルになるというゴールがはじめから決まっているから、自分が共感できる恋愛話を読んでときめきたい層が読む。なのでできるだけ読者が共感しやすいように没入しやすいように描かれている。中肉中背・特別目立つスキルは無し。だって個性があると没入できないから。

その無特徴系主人公をゴールが不明瞭なストーリーや少年漫画テイストで採用するのはいったいなぜなのか。それはストーリーを楽しんでもらいたいからじゃない。主人公と自分を一体化させて見てほしいという意図があるからである。別にそれが悪いわけじゃない。ただその形のアニメの大半がクソい。大体よくわからない中世のような化学が発展していない謎世界で前世知識だとか神からもらったチートだとかで楽しくご都合よく過ごして終わる。要するに現代に生きる平凡な人間が特に努力しなくてもチヤホヤされることを大なり小なり表現を変えてうだうだやっている作品が多いのだ。自分の人生で主人公になれない視聴者をアニメの世界で夢見させてあげましょうね~といった具合である。なのでストーリー上に友情努力(苦労の末の)勝利が存在しない。アニメキャラに没入して叶わない夢をみる人間はゴールまでたどり着くような努力や苦労をできればしたくないと思っている(と制作側に思われている)。

その気持ちはわかる。正直自分がルフィーになったとしても海賊王になるのは大変そうだからやりたくないし、戦うのも痛いし、船で生活とかたぶん無理。でもだからこそそれをこなす主人公が見たい、自分ができないことをやってのけるキャラクター達に憧れる。この世界と全く価値観も仕組も違う世界で必死に戦う主人公が、強くてかっこよくて最高で、だからアニメは面白いんじゃないのか。そこからエネルギーをもらって自分も自分の世界で精いっぱい頑張ろうと思えるんじゃないのか。

無特徴系主人公の作品はそれが一切感じられない、自分でできることをアニメの中でやられてもだから何?でしかない。よって無特徴系主人公作品=クソだと思っている。

 

 

6.タイトルに「魔王、魔法、異世界、チート、禁忌、最弱、最強、転生、賢者、魔、聖」が含まれる

これに当てはまって面白い作品はもちろんたくさんあるが(魔王城でおやすみとか)、有名どころでなくてこれに当てはまるものは大体クソ。面白い作品は内容が面白いからタイトルに限らず見られるのであって、タイトルから内容をネタバラシしていかないと見てももらえないような作品は、所詮最初の1話がクライマックス。これ系のは本当にクソ。本当にクソ。これが面白いと思えるやる箸が転がっても笑えるんじゃないか?内容が深いアニメみちゃったら感情壊れて死ぬんじゃないか?しらんけど。

 

 

7.字幕がない

字幕を付けるにはシンプルに金がかかる。その予算すら割けないカツカツの制作がつくっているアニメ、となると…あとはわかるな?

 

 

以上、好き放題書きなぐりましたが個人の感想です。

皆さまよきアニメライフを

 

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